2011年

第5位
一眼レフカメラ (6月)
 私の本業は動画編集のため、静止画撮影は あくまで補助的なもの。そのため、カメラはコンパクト型(とは言っても上位機種)で充分と思っていた。だけど娘が誕生し、毎日パシャパシャ撮影しているうちに従来は無かったような不満が色々と出てくるようになってきた。
 そんな中、一眼レフカメラについて色々と調べていたところ、昔から初心者用にということで定評のある機種の新型が発売されたというニュースを発見。これに標準を絞ったところ・・・相方の巧妙な罠にはまり、結婚3周年記念の お祝い名目で これの更に上位機種を買ってもらう展開になった。
 早速使ってみた一眼レフカメラは・・・やっぱりコンパクトカメラとは全く違う。この日以来、今まで以上に写真撮影に 勤しむようになった。
 また、この年は自分達用の一眼レフカメラの他にも、代行購入や贈り物用ということで4台のカメラを購入。カメラの当たり年(?)だった。



第4位
6時間歩いて帰宅 (3月)
 3・11の東日本大震災。関東では鉄道網が麻痺した。震災が発生した当日のうちの会社、大部分の社員達は会社で1泊するつもりだったんだけど、私には そのようなつもりは毛頭無く。会社〜自宅の距離を測ってみたところ、およそ24kmという結果が出た。単純計算だと徒歩で6時間。ということで、意を決して歩いての帰路についた。
 この時は「何としても日付が変わる前に相方と娘に会う!」という強い信念や「ここでギブアップしても、他の手段は無い」といった状況に加え、「6時間歩けば到着」という明確な目標があったため、何とか頑張れた。計算通り6時間で到着したんだけど、「疲れた」というよりは「脚が痛い(>_<)」であり、以後数日間は脚の痛みを引き摺ることとなった。
 この時は脚が痛いだけで終わりと思っていたんだけど、東日本では揺れそのものによる被害に加え、原発事故による被害が長らく続くこととなり。個人的なところでは電力不足・水騒動・欧州知人の来日延期といった、様々な影響が出た。


第3位
相方の入院 (6月〜7月)
 5月下旬に1度ギックリ腰をやってしまった相方、その時は自宅療養で何とかなった。その1か月後に再発。この時も自宅療養で済むと思っていたら、横になっていても呼吸すらままならない激痛に発展したため、人生初の救急車出動要請という展開になった。
 これにより相方は3泊4日の入院。その間、娘の運命(?)は私の双肩にかかることとなった。ただ、幸運にも この当時は娘を保育園に通わせていたため、日中の世話は ここに任せることができ、その間 私は出社したり、相方の見舞いに行くことができ、非っ常ぉ〜に助かった。
 ただ、娘は朝早くから夜遅くまで保育園に預けられており、親と顔合わせできる時間が ほんの僅かというのが不憫に思えてならなかった。また、家では私が1人で全てをこなさなければならず、普段いかに相方が色々としてくれているのかを痛感。今にして思えば よく自分の体が もったものだと鳥肌が立つんだけど、人間窮地に追い込まれると、物凄い力を発揮するようである。
 とは言うものの、父1人娘1人で過ごした この日々。後の世に言う「パパとムスメの3日間」は何だかんだで私にとって貴重な日々だった、と今にしてみれば そう思える。


第2位
甥っ子の誕生 (10月)
 自分が親の立場になると、命の重みや新しい命の誕生に対する考え方が随分と変わってくるもの。また、弟にとって、様々な困難を乗り越えて誕生した待望の命。私にとっても、とにかく嬉しかった。


第1位
相方の懐妊 (9月)
 相方の原因不明の体調不良が長らく続いたんだけど、それの原因が判明した時はビックリした・嬉しかった・ホッとした、様々な感情が入り交じった。無事に生まれてくれることを願うばかりである。
 1人目の時は「絶対に娘!」という希望があり、その念願が叶った。ということで、2人目に関しては元気に・無事に生まれてくれれば性別は一切問わないという気持ちが強い。