2012年

様々な人達との出会い、そして別れが あった1年だった。

第5位タイ
ドイツ知人の来日 (7月)
 本来は去年来日するはずだったんだけど、3・11があり。本人は それでも来る気マンマンなのに対し、周囲が猛反対だったため泣く泣く延期。今年、念願の初来日となった。
 彼女は目が不自由で、体の所々にも不自由を抱えている。それなのに単身で地球の裏側に来てしまうあたり、私には とても真似できない。
 2週間の滞在中、前半は私が関東観光案内を担当。楽しい思い出が沢山できたことを願うばかりである。


第5位タイ
同窓会 (3月、9月、10月)
 2010年の秋にfacebookで中学時代の電子同窓会が立ち上がり、次々に人が集まったり発掘されたり。約130人いる同窓生のうち、40人弱がfacebookの電子同窓会に参加。facebook未登録であっても、繋がりが ある人は・・・10人ぐらいかな。
 その面々が集まっての物理同窓会が遂に東京で2回開催された。また、これに連動して北海道の支部と総本山(?)でも物理同窓会が開かれたり、果ては米国でも物理同窓会が開かれたり。私は東京での2回と、総本山での同窓会1回に参加できた。facebook様々である。
 電子同窓会が できて以降、当然私は毎日facebookを確認するようになったんだけどぉ〜・・・妻曰く「ヘビーユーザー」。おっかしいなぁ〜、本人に そのつもりは無いんだけどな〜。ただ、本人に自覚が無くても、回りから見ると明らかに中毒、という事例は多々あるので、気を付けようっと。


第5位タイ
会社事務所の引っ越し (1月)
 これのせいで通勤時間が従来の倍になった。歩く距離も従来の倍になったので健康にイイ・・・とは とても前向きに解釈できず。朝は より早い時間に家を出て、夜は より遅い時間に帰宅。子供達と遊ぶ時間がグッと減り、大迷惑な話である(-_-#)。


第4位
日本方の祖母永眠 (10月)
 祖母の件は数年前に「恐らく これが最後かな」と思っていた時の面会時に自分の中で気持ちの整理・区切りができていた。実際、その時の面会が まともな状態のものとしては最後になった。その直後から祖母は痴呆が一気に進み、私が知っている祖母は既に この世からいなくなっていた、というのが私の中にある真実。お葬式や法的な整理を たまたま今年実施しただけ、という気持ちだった。そのため、年間5大事件の中では意外と順位が高くなく。
 実質的な最後の面会後、祖母は とあるクズによって財産目当てで拉致され、行方不明に。拉致された後は病院を転々とし、最終的には介護施設に放置されていた。
 そんな状況下だったものの、1年前に奇跡的に再会を果たせた。但し、この時は既に痴呆が相当進んでおり、孫である私のことすら認識できず、すっかり別人に変わり果てていたた。もう私が知っている祖母は この世にいない、という現実を私は受け止めた。
 祖母と交わした約束「曾孫の顔を見せる」。奇跡の再会時に娘の動画を見せるも、私が孫であることも、映っている娘の動画がが自分の曾孫であることも認識できず。今年 2人目の孫が誕生するも、報告すら ままならず。果たして私は祖母との約束を果たすことができたと言えるのか、今でも分からない。
 晩年の祖母は まわりから見ると不憫だったかもしれない。だけど痴呆が進んでいる中、私のことを孫と認識できない中にあって、「ここの施設の人達は とても親切で、よくしてくれるので 有り難い」と言っていた。この言葉に嘘は無かったはず。祖母自身は幸せな晩年だったに違いない。それがせめてもの救いである。


第3位
娘との2人旅行 (5月、9月)
 5月。私は毎年山形に実家帰りをしていたんだけど、娘の誕生以降、2年間これが途絶えていた。今年は長男が誕生するので、そうなると益々実家帰りが遠のく。ということで、長男が誕生する前に父娘の2人で山形に行ってきた。そりゃあ、不安は あったけど、新幹線の中で3時間、娘は ずっと大人しくしてくれていたので私は大助かり。山形の実家で娘は3人目の祖父母に初めて会えたり、心友家族と一緒に遊んだりと、普段はできないような体験を色々と させてあげることができた。
 9月。弟家族から花火大会鑑賞の誘いを受けた。移動時間と花火大会の実施時間帯を考えると日帰りは無理。日帰りが無理なら、1泊すればよいという結論に至り。これまた父娘の2人で行ってきた。行きの電車内での2時間、娘は これまた大人しくしてくれたので大助かり。弟家族達の計らいにより花火大会だけでなく、動物公園に連れて行ってもらったり、広い庭でビニールプールに入れてもらったり。そして娘にとっては人生初となるホテル外泊をしたり。これまた いっぱい思い出を作ってあげられたかな、と思っている。
 いずれの1泊旅行も受け入れてくれた両親と弟家族達の取り計らい あってのもの。感謝、である。


第2位
心友の転勤 (9月〜)
 高校卒業以来20年、ずっと離れた状態で仲良くしていた心友だったんだけど、周囲も本人もビックリの東京転勤という展開になり。こりゃ、ノストラダムスも予想できなかったやね。
 今までは年に1度会うようにしていたんだけど、それが月に何度も会うことができるようになり。お陰で会社帰りに2人で一杯引っ掛けることができるようになったり(但しドリンクバーで)、誕生して間もない息子を抱っこしてもらったり、「いつか〜〜〜したいね」と思っていたことが思いの外 早いタイミングで実現できたり、1人では行きたくとも行けない場所に行けたり。
 初めの半年は心友が寂しい単身赴任なんだけど、それを逆手にとって、動きやすい独り身のうちに色々と やってしまおう、ということで。「空白の20年」という言い方は大いに語弊があるんだけど、物理接触が七夕状態(年に1回)だった20年間を取り戻すかのように、一緒の時を沢山持つことができた。彼のような掛け替えのない生涯の友に恵まれた私は幸せだと感じた。


第1位
長男の誕生 (5月)
 本来は非常に おめでたいことなんだけど、私が長男の誕生時のことを思い出す際、どうしても忌々しい記憶が付随してしまう(-_-#)。仕事最優先、家族のことなん どうでもイイという会社方針により、出産に立ち会えなかったという記憶である。妻が孤軍奮闘する中、私は会社の机でガックリと項垂れていた。ただ、ボヤいていても仕方ないので、イイことを前向きに捉えるようにしたい。
 私が産婦人科に駆けつけることができたのは日付変更線ギリギリのあたり。産婦人科前でタクシーから降りた際に運転手から「いや〜、おめでとうございます!」と言われたのが初めての祝福の言葉だったんだけど、見ず知らずの人から こんな言葉をかけてもらえて、嬉しかった。
 この日の午後は何かとイライラしっぱなしの私だったんだけど、長男と初対面し、初めて抱っこした瞬間、自分が しょ〜もないことにイライラしていたんだな、って諭された気がした。
 孤軍奮闘で頑張ってくれた妻に感謝。そして入院中、色々と手を貸してくれた妻の家族達に感謝である。良き妻に恵まれ、一姫二太郎に恵まれ、4人家族として出発することができた私は幸せ者である。
 が、その僅か3か月後に大事件。息子の咳と高熱が続くため、妻が掛かり付けの小児科に連れて行ったところ「大きな病院での精密検査が必要」とのこと。総合病院で精密検査をしたところ、結果は「肺炎」。有無を言わさず緊急入院となった。
 この時はマミーが3か月に1度の襲来中だったり、私も休暇・週末・祝日を含めて4連休ということで、人手は揃っていたのが不幸中の何とやら。
 生後3か月で入院し、24時間体制で点滴を受ける長男の姿は見ていて痛々しく、代われるものなら代わってあげたかった。が、そんな状況を長男は まだ理解できず、そんな中で とびっきりの笑顔を見せてくれた日にゃ、親バカがビッグバン大爆発である。
 2泊3日の入院だったんだけど、無事に退院できてホッとした。娘が生を受けた思い出の病院に、長男が このような形で入院することになるとはね〜・・・。